パラブラ映画部

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作品No.074D

送還日記

2時間28分/2003

非転向長期囚として、それぞれ30年、45年の服役の後、出獄した2人の老人チョ・チャンソンとキム・ソッキョン。「北のスパイ」である彼らに映画監督キム・ドンウォンが1992年に出会う。以来、彼らの日常を12年にわたってカメラに収め続ける。祖国統一の志しを胸に「南」へ派遣され、囚われの身となり、拷問にも耐えてきた彼らは、「南」の暮らしに馴染み、一般市民と親交を深めながらも、「北」へ送還される日が来ることを願うのだった。


内容紹介

‘北のスパイ’との出会い

1992年の春だった。私(キム・ドンウォン)は、刑務所から出獄はしたが身を寄せる所のない二人の老人を私の住んでいるボンチョン洞に連れて来るよう、ある神父から頼まれた。非転向長期囚としての長い獄苦から解かれた二人の老人の名前はチョ・チャンソンとキム・ソッキョン、彼等は‘北’から下りて来た‘スパイ’だということだった。私は不慣れな彼等と好奇心に満ちて対面した。

チョ・チャンソンとの深まる親交

同じ町に住みながら私は彼らの日常をカメラに収める機会を得ることになる。特に私は人情の篤いチョ・チャンソン老人と親しくなった。しかし、私の子供たちを孫のように可愛がってくれる彼の姿に情の移るのを感じながらも、元非転向長期囚たちが集った野遊会で‘キム・イルソン賛歌’をはばかりなく歌う彼らを見て、やはり私には彼に対する拒否感が存在することを自覚せざるをえなかった。その後、チョ・チャンソン老人は、拷問に耐え切れず先に転向してしまった昔の同僚であるチン・テユンとキム・ヨンシクに再会することになるが、その場に居合わせた私は、彼ら転向者が身に深く染み込んだ自愧の念の為に肩身の狭い思いをしながら生きているということを知った。

検閲、逮捕

弛まず彼らの生活を撮り続けていた私は、彼らを‘北’に送還させる為の運動に私なりに力を添えたいと思うようになり、‘北’に居る彼らの家族を撮影する計画を立てた。ところがこのような努力は‘南’の当局の神経に触れることになり、結局‘北’行きは駄目になってしまった。のみならず私は、当時大きな威力を振るっていた国家検閲制度を楯に取る‘南’の当局によって、許可なく映画の制作・販売を行ったということで返って逮捕されるハメに陥った。しかし幸いにも私はこの事件をキッカケとして長期囚出身の老人たちと一層親しい間柄となることが出来たのだった。

思いがけない転機

1999年から送還運動は本格化し、2000年の‘6.15南北共同宣言’を機にそれは急流に乗ることになる。送還が現実の問題として近づいてきた時、元長期囚たちの間で大小の色々な葛藤が醸し出された。獄中で非転向を貫徹したが、もともと‘南’出身の元長期囚が‘北’へ行くべきかの問題、反対に故郷が‘北’なのに獄中で転向した為、‘北’へ行く資格を持たない元長期囚の問題、中には電撃的に結婚して南に残ると宣言することによって同僚たちの非難を受けた人もいた。チョ・チャンソンは送還を前にして30年前に逮捕された慶尚南道のウルサンを訪ね、そこで昔死んだ同僚の霊を弔って彼の家族に供える一握りの土を納めた。こうして2000年9月2日、非転向長期囚出身の63名は‘北’へ送還された。

送還の後に

今や過去の映像を通してしか会うことが出来なくなってしまった彼ら…
今も私は国家保安法違反の前歴のために彼らに会いに行けないし、長い拷問に衰弱しきり齢をとってしまった彼らもまたこれ以上‘南’側に来られないまま息を引き取るかもしれない。われわれはもう一度逢うことが出来るのだろうか?


商品情報

■2004年 サンダンス映画祭“表現の自由賞”受賞、2004年 チョンジュ国際映画祭シネマスケープ部門正式出品、2004年 カルロビ・バリ映画祭コンペティション部門正式出品

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