パラブラ映画部

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作品No.025D

無辜なる海 -1982年 水俣-

1時間21分/1983

不知火海とともに生きる人々の暮らしを、水俣の湯堂、天草の横浦島、芦北町の女島の三家族の生活を丹念に記録しながら、なぜ、いま水俣なのかを見る者に問う。

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■「無辜なる海 -1982年 水俣-」ライブラリー版:38,500円(消費税込)
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内容紹介

すべては、チッソ水俣工場のタレ流した有機水銀に始まる。
不知火海にも、この海と共に暮らす人々にも、これほどまでに破壊されねばならぬ因果も理由も何もない。無辜(何のつみもない)の民、無辜なる海が、いまだ消えぬ毒に侵され続けている。
不知火海に無数に浮かぶ天草の島々、漁業ひとすじで暮らしをたてている人々、それ故に汚染から逃れることはできない。その島々の一つ、御所浦町・横浦島。この島に住む岩本さん一家は、もう長い間水俣病特有の症状を訴えていたが、申請は親子三人とも1978年ときわめて遅く、娘の真美さんは生れた時から寝たきりの子である。母マリ子さんは、真美さんに付きっきりのため、父文則さんは一人でできる一本釣りに仕事を変え、月に2回は遠く上天草の病院まで舟で通院する日々である。
この映画を撮る青年たちは、カメラを回しながら映画を発見してゆくようなみずみずしさがあふれている。描かれているのは、副題が示すごとく有機水銀に侵された人々の困難な生活ぶりなのだが、なぜいま水俣なのかと問う者に、映画は、水俣に終わりがないと直截に語りかけている。
水俣病の実態をめぐっては、すでに土本典昭の『不知火海』をはじめとする一連の優れた作品が70年代に撮られているが、『無辜なる海』の特質は、先輩の映画人たちの姿勢を継承しながらも、80年代にふさわしい日常性の鏡に公害問題を反映させ、その重大さを、ゆるやかな時間の移動とともに、じっと見すえた点である。その結果、見ているわれわれ自身が、被写体となった水俣の人びとの瞳によって見つめ返されているような緊張感が漂っている。
(『無辜なる海』上映用チラシ〈読売新聞より抜粋1983年11月14日〉)


商品情報

■優秀映画鑑賞会推薦/熊本映画祭最優秀スタッフ賞
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