作品No.020D
お父さんの戦争体験 <8ミリ記録映画>
45分/1980
お父さんの戦争体験と「私」が調べ、教えてもらった戦争体験。両方をふまえて父娘で、戦争を語り合った。
内容紹介
勤労報国隊って何?
私は父に「昔炭鉱に行ってたことがあるの。」と聞いてみた。そこでわかったことは、北海道の炭鉱に終戦の年、勤労報国隊として召集されたこと。そこには朝鮮人が多勢いたこと。そして食べものがとてもひどかったことなどである。勤労報国隊ってなんだろう。戦争中の炭鉱に対する知識などまったく無かった私にとっては、わからないことばかりである。
『受難の記録』、聖戦への強力
ちょうど終戦記念日の八月十五日が近づき、反戦を訴えるさまざまな催しものが開かれていた。その中のひとつ、『平和のための戦争資料展』へ行き、そこでとても貴重なフィルムを見ることができた。『受難の記録』という朝鮮人強制連行の実態を伝えるドキュメンタリーである。私はこれを見てとても大きなショックを受けた。わずか十六歳の少年だった父が、こんなにひどいめにあわされた朝鮮人を目の当たりにしてきたということが、想像もつかないほど恐しいことのように感じられたからである。父は当時の体験をどのように捉えているだろう。私はここで父にマイクを向けてみることにした。しかし父の答えは意外だった。「朝鮮人も日本人だったから差別されることはなかったし、むしろ朝鮮人の方が羽振りも良く威張っていた。」というのである。だが当時の父の目にそう映るのは当然だったかもしれない。なぜなら、父が生まれたとき朝鮮はすでに日本の植民地であり、そこの人たちが日本の”聖戦”に協力するのはあたりまえだと思っていただろうから。
言い訳は無力
しかし戦後三十五年たった今も、その当時の印象をそのままに語るということが、どうしても疑問に思えてくる。それは私自身が日本は侵略国であるということを今まで意識せずに育ってきたこととつながってくるのではないだろうか。侵略された人々から目をそむけることによって、経済大国にのし上ったのが現在の日本であることを知るとき、そこに生きる私にとっても戦争は昔のこととしてかたづけられないものになった。その日本人自身も戦争によって耐えがたい犠牲を強いられてきた。しかし侵略された人々が受けた苦しみの前には、どんな言いわけも無力である。私はそれを父にも認めてほしかった。映画に登場する在日朝鮮人の声が、そのことに気づかせてくれるはずである。しかし最後のインタビューで父は「昔のことだから」とかたづけてしまった。決して昔のことではすまされないと思いながらも、自分を育ててくれた父親を前にして、私はそれ以上何も言えなかった。”